批判も一身に引き受ける強い男(かた)でした | 2015/09/24 |
中村勝広GMの訃報を試合最中に知り、大変な失礼をした思いと、感謝の思いが交錯しました。 此処に至り、綺麗事無しで率直に懺悔し、またGMとして野球人として見直させて頂いた感慨を述べます。 監督時代の1995の聖地で、私はライトからメガホンを投げ込みました。 1995のパは野田投手が右のエース格だったがんばろう神戸BW、セはオマリー選手が大活躍したYsが独走。取り分け阪神戦では鬼の打棒でした。 そんな中、我々猛虎は惨敗を重ね、GW中のG戦で少年だった私は大勢を真似て上記の愚行。 冷静に考えれば決して中村監督のみの責任では無く、寧ろ当時のオーナーとフロントが責任重大でしたのに。大変な冒涜でした。 それから17、8年後。GMとして阪神復帰。2013−2015は秋口迄は常にV争いするチームに再建。 一軍が聖地、二軍が鳴尾浜の日は日中、鳴尾浜ブースから若虎を凝視されている御姿を何時も見ました。 ブルペンに向かわれる際には球場前広場を普通に歩かれ、大柄で威厳に満ちておられました(御記憶の盟友方々も)。海外にもよく渡られ、余り睡眠を取られていないのでは?とも感じました。 安らかに御眠り下さる様、心から御祈り致します。命懸けの業務、御疲れ様でした。 最後に一言。兼ねてからの指摘ですが有能な補佐が…。GM一人に業務が集中し過ぎた。 |
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鳥取県 | マー誠金星やの〜 |